中尾裕子
法定翻訳通訳官
Jun 2010 in PARIS
「フランス法定翻訳通訳」
大陸法に依拠するフランスの法体系は
判例法を基礎とするイギリスやアメリカとは異なる
フランス控訴院法定翻訳通訳官として活躍する中尾裕子氏に
「リーガル翻訳通訳」の魅力について訊いた
フランスに滞在されて、何年になりますか。
日本でフランス語学科3年に在籍していた1994年の夏に、9ヶ月間の語学留学のためグルノーブルに滞在しました。
ですから、通算14年目の滞在となります。
日本の大学卒業を間近に控えた頃、大好きだったフランス文学を勉強したくなり、大学院進学も考えたのですが、ちょうど妹が大学に進学したため、経済的に不可能だったんです。
あきらめ切れず大学の恩師に相談したところ、だったら本場フランスで勉強すればいい、あっちの大学は学費が安いから、と言われ、編入手続きをすることに決めました。1997年9月からグルノーブル第三大学の現代フランス文学部学士(Licence)に編入しました。
フランス語教授法を修めていますね。
フランス語教授法(FLE)は、現代フランス文学部学士時代に平行して取得したものです。教授法概論、文学評論、外国語、フランス語文法概論の授業で構成されていました。
外国語の授業は、今までに習ったことのない言語をひとつ選択し、その言語を学ぶだけでなく、授業内容の構成・クラスの様子・先生の進め方・テスト・文法や会話など、外国語習得に関するレポートを提出するというものです。
教授法概論の先生は、私が語学学校に通っていたころにお世話になった語学学校の校長先生だったので、自分が必死にフランス語を勉強していたころを思い出し、感慨深かったです。
フランスの「控訴院司法鑑定家」とはどのような資格ですか。
控訴院司法鑑定家(Expert judiciaire près la Cour d’Appel)は、各分野のエキスパートが、裁判所における民事・刑事事件で、裁判官が必要だと判断した場合に、裁判官からの書面による要請を受け介入するシステムです。
調査に基づき報告書を作成・提出するというのが一般的な流れですが、語学分野の司法鑑定家はこうした調査・報告書作成はなく、主に翻訳・通訳業務を行いますので、Traducteur juré あるいは Traducteur assermenté(ともに“法定翻訳官”の意)と呼ばれます。裁判官から召喚状を受けた場合、当事者を知っているなどの理由が無い限り、基本的に召喚拒否はできません。
資格を得るための試験はなく、在住地の管轄の控訴院(日本でいう地方裁判所)に必要書類を提出し、判事によって構成された控訴院司法鑑定家委員会により、書類審査が実施されます。
日本では、司法関連の通訳翻訳は登録制となっています。
フランスにおける「司法鑑定」という制度は、どのようなものでしょうか。
日本と同じく登録制ですが、先述したように、登録のためには書類審査を通過しなければなりません。「翻訳部門」と「通訳部門」があり、両方あるいはいずれかひとつに登録できます。
書類審査を通過したのち、その年に任命された全ての司法鑑定家を一堂に会し、裁判所で宣誓式が行なわれます。一人ずつ、右手を挙げて“誓います”と宣誓するわけです。
宣誓してからの2年間は「仮登録」期間で、その間の業務を判断基準にし、仮登録期間終了直後に5年の本登録が行われます。
裁判官からの召喚を拒否した場合や、大きな過ちを犯した場合などは、5年毎の審査で登録抹消される場合があります。
年明けには、前年に遂行した任務や、参加した研修に関する報告書を控訴院に提出する義務もあり、これを怠ると登録抹消される場合があります。1年に一度の司法研修にも任意で参加します。
法定通訳官としての実務経験について教えてください。
2006年に晴れて法定翻訳・通訳官の任命を受けてから今年で5年目、本登録となって3年目になりますが、2000年から所属しているグルノーブル市内の移民協会でも法定翻訳・通訳業務を行っていたので、通算で10年です。
法定通訳は、大きく分けまして、①裁判所や警察からの刑事事件、②離婚などの民事事件、③市役所での結婚式です。
①では人身交通事故、暴行、窃盗、火災などを扱いましたが、日本人は被害者のパターンが多いですね。
日本人による大きな犯罪が発生していないのが不幸中の幸いです。
②の離婚訴訟は、「同意に基づく離婚」ばかりなので、紛争もなく比較的やりやすいです(笑)。
③は、フランス憲法第2条により「婚姻は国家の代表により執り行なわれる厳粛な行為である故フランス語で実施されるものとする」とあるように、婚姻当事者のいずれかがフランス語を理解していない場合、法定通訳官の帯同が義務付けられています。
裁判所での通訳で、特に心掛けていることがあれば教えてください。
通訳官はあくまで「黒子」なので、必ず一人称単数で行ないます。
つまり、「わたしは・・・」として、三人称単数「彼が、彼女が・・・」という表現はタブーとなっています。
また、余計なことは付け加えず、不明な点は随時裁判官に質問し、明確な通訳をこころがけます。
たとえば(わたしには経験がありませんが)容疑者の通訳として出廷した場合、その容疑者が裁判官に対しきたない言葉で悪態をついた場合、それも一字一句残さず通訳しなければなりません。
さらに、通訳する相手が泣いて取り乱したり、言葉にするのが非常に心苦しい内容であっても(暴行を受けた様子の取調べなど)、感情移入したり、気持ちを引きずらないよう気をつけています。
あるいは、電話を介した三者通訳もあります。
オーバーステイした日本人が当局に拘束され、空港そばの行政拘置所に拘置された場合、強制送還に向けた裁判が行なわれるまでの間、NGO団体のCIMADが介入するのですが、CIMADと提携する「緊急通訳者グループ」を通じ、今後の手続きについてを日本語で説明します。
日本人のフランス滞在者は、おしなべて自分がこの国では「移民」であるという自覚が欠如しているため、オーバーステイや行政手続の不備に関する危機意識も薄いように感じるのが残念です。
中尾裕子 NAKAO Hiroko
フランス控訴院法定翻訳・通訳官
1974年生まれ、静岡県出身。
フランス語学士(日本)取得後、グルノーブル(フランス)に留学し、現代フランス文学学士・修士・博士準備過程(DEA)、およびフランス語教授法学士(フランス)を修了する。
使用言語; 日本語、フランス語
専門分野; 司法・文芸・スポーツなど
訳書; 『この地獄から、ぼくを助けて』(竹書房)
サッカーのフランス通信員として、サッカー関連の仕事や翻訳、執筆も行う。