事件の記憶×時効02|井の頭公園死体遺棄事件

井の頭公園死体遺棄事件

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井の頭公園死体遺棄事件
「真空地帯に葬られた空白の時間」


発覚

1994年(平成6年)4月23日、朝から花曇り、午後には雨が降り出す予報であった。最低気温12度、上がっても20度にはならないとみら、少し肌寒い。前日は一日中よく晴れ、金曜の夜ともあって、公園は夜遅くまで賑わいを見せていた。

早朝、清掃員らは園内設置のゴミ箱からごみを収集し、園内にあるゴミ収集所で分別作業を行う中、女性清掃員が公園北側に位置するゴミ箱の中にポリ袋に入れられた人の足首のようなものを見つけた。

午前11時、通報を受けた三鷹署員が井の頭公園へ急行、公園一帯のゴミ箱を捜索、分断された手足や胴体の一部を採集した。

また、警視庁は、園内のゴミ箱など計14カ所から同一人物のものとみられる両手首、ひじ、ろっ骨などの入ったポリ袋を発見、直ちに、殺人、死体遺棄事件として三鷹署に特捜本部を設置した。

25日、さらに分断された死体が発見される。

警視庁捜査一課と三鷹署で検査の結果、切断された手足・胴体の一部は計27個。鑑定によれば、死体は死後2日前後、経過している。

女性清掃員が発見したものは左足の足首と分かり、切断遺体は、ポリ袋に入れられ、特殊なねじり方をするなどして固く結ばれ、池の周囲にあるゴミ箱に点々と捨てられていた。

死体は手足と胸の一部のみであり、頭部及び胴体の大部分は発見されていない。


経過

4月26日、被害者の身元が判明。同公園からほど近い場所に住む一級建築士(男性、35歳)である。被害者は21日夜から行方不明となり、妻から捜索願いが出されていた。

その後の捜査により、被害者は、4月21日の午後11時ごろ、知人と新宿駅で別れたことが分かったが、その後の足取りは不明のままである。

5月、三鷹署は被害者男性の顔写真つきのビラ1万枚を用意し、吉祥寺駅周辺に配布、情報提供を呼びかけた。6月には、園内の池にスキューバ隊を投入し、水中捜査を実行している。

同年11月23日、被害者は、何らかの理由で西荻窪駅で下車した後に事件に巻き込まれたとの報道がなされる。西荻窪駅は自宅最寄りの吉祥寺駅から一つ手前の駅である。

その後、袋を提げて歩く2組の男や吉祥寺駅近くで被害者に似た男性が男2人に殴られていたという目撃情報などが得られたものの、犯人の特定には結びついていない。

翌95年3月9日、被害者の父が、被害者の父親の心情を綴った鎮魂の書「心事の奇跡」(創英社)を出版、三鷹署特捜本部が解散、カルト教団説、快楽殺人説、人違い殺人説など、メディアを巻き込み憶測を呼ぶ中、2009年4月23日午前零時、発覚から15年が経過、殺人事件としての公訴時効を迎える。



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本事件が死体遺棄事件であれば時効は3年である。






井の頭公園

東京都武蔵野市にあり吉祥寺駅から歩いて10分ほどの距離にあり、正式名称は井の頭恩賜公園という。大正2年に日本で最初の郊外公園として計画的に整備され、中央にある井の頭池を囲む敷地はテニスコートや「三鷹の森ジブリ美術館」を含めると約38万平方メートルに及ぶ。数字だけでは想像しにくいかと思われるが、公園まわり歩くと大人の足でも優に1時間近くはかかる。休日は多くの人が集まり、レジャーシートを敷いて食事をするグループもある。親子連れがやって来て井の頭池のボートに乗る。池の水面に映る満開の桜は美しく、その数600本ほど。花見の期間中の人出は50万人と言われる。