別冊リーガルカフェ|燃ゆるパリ フランス弁護士広瀬元康


Vol.2

世界屈指の細かい労働法典-雇用者の苦悩(1)

外国企業だからといって許されない
雇い主も従業員も日本人同士だからも言い訳にならない
知らなかったでは済まされない恐怖のフランス労働法
フランス日系企業が依頼する相談テーマの王様とは


膨大な労働法典

日本では、「労働法」という名前の法律はなく、労働基準法・労働組合法・労働関係調整法を主要三法として、様々な労働関係の法律が林立しています。

これに対して、フランスでは労働法典(Code du travail)という体系的な法典にこれらの要素が辞書のように整理されています。商事法典・入国滞在法典(前回のビザのお話の根拠法令です)…というように、フランスでは法典という形で法律が編纂されることが多いのです。政省令や判例の規範が、法律に昇格して法典に新たに組み込まれることも多いですので、必然的にボリュームは膨れ上がります。

中でも、労働法典の分量は凄まじいものがあります。条文番号は例えばL.1234-2条、というように枝番がついており、この枝番の前の数字はずっと条文を下っていけば8000を超えます。全部が1から連番というわけではないのですが、普通のA4の紙に普通の字の大きさで印刷すれば、条文のテクストだけで1,000頁を超えるのは間違いない分量です。

例えば解雇を例にすれば、日本の労働関係法規でこれを直接的に規律する条文は、数えるほどしかありません。手続面においては、めぼしい規定は労働基準法の30日の予告期間くらいです。もちろん、解雇の要件については、解雇権濫用法理等、判例法理によってそれなりに細かく判断基準が示されています。

これに対してフランス労働法典では、解雇を規律する条文は優に100を超え、解雇対象者の属性(特に従業員代表機関の者かどうか)、解雇人数、会社の規模、解雇の理由…等によって細かく手続ががんじがらめに定められており、労働局への報告・許可申請を含めた行政手続が多く要求されるのです。

弁護士の立場から言わせてもらえば、条文で細かく決まっているということは、それを地道に調べればやるべきことがわかる、という点でやりやすいのですが、結局は法律の条文も最終的には労働当局に広範な裁量を与えています。特に大規模集団解雇(解雇する人数が10名以上)の場合には、労働当局にお伺いを立ててその裁きを首を長くして待ち、その間は人件費ばかりがかさみ、いつまでも不要な人材を解雇できない、というフラストレーションを企業は抱え込むことになります。

フランスには、労働当局とのやりとりに長けた労働法のスペシャリストの弁護士・法律事務所がたくさんあります。専門分野にDroit socialと書いてあれば、直訳すれば「社会法」ですが、一般的には労働法を意味します。

伝統的に労働者の権利意識が強いカルチャー

フランスに何度か旅行された方なら、交通機関のストライキに悩まされた経験をお持ちの方も多いのではないのでしょうか?また、道路で警察官が集まって物々しい雰囲気で何事かと思ったら労働者のデモ行進(manifestation)をやっているという光景も、フランスの街角ではおなじみのものです。

特にストライキは、パリ近郊の主要な通勤路線でも長い場合には1ヶ月以上にわたって大幅な減便が行われ、寿司詰めの停滞する電車で迂回・乗り継ぎを繰り返して何時間もかけてパリまで通勤、という日々が続くこともあります。個々の利用者はもちろん苛立っていることでしょうが、これを労働者の権利主張の場なのだから仕方がない、と是認する社会的環境が既成事実として出来上がっていることは否めません。

私が前回留学したときの郵便のストライキは目に余るもので、書留でもいつ届くのか、目処がありません。また、普通郵便は頻繁に紛失しました。距離が100km程度の近郊の町なら自分で電車に乗って(これもまたストライキ)手渡しで届けに行ったこともありました。

労働者と争えば、すぐにでも訴えられることを覚悟すべし

フランスには、労働裁判所(conseil de prud’homme)という特別裁判所があります。日本は憲法で司法権を最高裁判所を頂点とする裁判所に独占させ、特別裁判所の設置を禁じています。これとは対極に、フランスは餅は餅屋、各分野を扱い慣れた特別裁判所こそが適切な判断を下すことができる、という発想があるのでしょう。労働に限らず、商事紛争は商事裁判所、社会保障をめぐる問題は社会保障裁判所、農事は農業裁判所…と多数あります。

日本でも、労働者は会社とトラブルがあれば、民事訴訟を起こして会社に対して損害賠償等を請求することはもちろんできます。実際、事実もない罪を着せられて懲戒解雇された、ハラスメントによって重大な身体的・精神的被害を受けた、というような場合には、現に会社が訴えられるケースもあるでしょう。

しかしながら、軽微なサービス残業、有給休暇の消化方法、多少意に沿わない配置転換、上司・同僚との人間関係の軋轢…と挙げるときりのない職場内の日常の不満を、いちいち裁判所に持ち込む人がどれだけいるでしょうか?身近な人との争い事を裁判沙汰にするのを嫌う日本人の国民性も一因かもしれませんが、次の企業へ転職しようとしている人が、前の会社を相手に裁判沙汰を引きずって争っている、などということが知れるだけでも、転職先企業の人事課に、「うちでも必ず問題事を荒立てるであろう面倒な奴」と一蹴される場合も多いのではないでしょうか。

それが、フランスでは違います。労働者は、雇用者と問題が起きれば、とことん細かい労働法に雇用者が違反した事実を見つけ次第、雇用者や組合に相談しても折合いがつかなければ、それでは続きは労働裁判所で、といとも簡単に訴えられることがあります。このご時世、経営難や事業縮小によるやむをえない整理解雇の際に、補償金をいくら上乗せするかで従業員と折合いがつかない、というような問題が発生すれば、雇用者は裁判所行きを覚悟したほうがよいです。パリで弁護士をやっていて、企業から相談される件数はこの手の問題がトップです。

フランスは、労働以外の問題についてはアメリカほどの訴訟社会とも思いませんが、労働者が自分の権利に納得がいかない場合に裁判に訴えるのは非常に抵抗感が乏しく、極端に言えば風邪をひいたから医者に行く、というのにも似た感覚なのではないでしょうか。

ちなみに、労働裁判所では、裁判官は職業裁判官ではなく、労働者側の者と雇用者側の者が同数ずつの合議体で審判されます。労働現場の実情に即した柔軟な裁判が期待できる一方、職業裁判官でない分情誼に流されやすく、判決の予測がつきにくいという難点があります。

日本人を雇う場合でもフランス人を雇う場合でもそれなりにハードルは高い

日本人が仕切る日系企業がフランス人を雇う場合、上記のようなフランス人の法感覚をまず理解する必要があります。たとえ仕事が出来ない人であったとしても、いったん労働者という地位を得れば、とことん権利を主張してきます。

その代わり、期待される給与額は、パリの街角で見る物価や日本との比較で考えると、意外と低いです。専門職で5年、10年のキャリアが不可欠なポストの会社員でも、年収4万ユーロ(今のレートなら約450万円)程度ということも多いです。その反面、雇用者からすれば、高額の社会保障費等を負担させられるので、労働者が受け取る金額の2倍近い金額を雇用者が負担しているということも考慮する必要があります。

その一方、日本人を雇う場合はどうでしょう。トラブルがあったときに雇用者を訴えてくるリスクは下がる(円満に交渉によって解決できる可能性が高くなる)という一面はあるかもしれません。しかしながら、フランス人の配偶者でもない限り、相当高い給与額(管理職レベル)でなければスムーズにビザが下りないのは、前回のコラムでお話したとおりです。そうなれば、社会保障費を加えた雇用者の月額負担は7,000ユーロ以上ということになり、このご時世大変なことではないでしょうか?

結局、個人起業家が設立した会社の場合など、業務量が増えたために誰かを雇いたい、と考えつつも上記のような難点ゆえに実行できず、経営者だけで従業員のいない会社のまま、というケースもたくさんあります。

次回は、労働をめぐる問題の代表格である解雇を中心に、どのくらいフランスの労働法典が細かいかを垣間見ることにしましょう。





広瀬元康 HiroseMotoyasu
大阪出身、フランス弁護士、日本弁護士
本誌「法務翻訳」でもおなじみ。