中国国際弁護士列伝 03
弁護士周暘
「事件に巻き込まれ、死にたいほど悩んでいる人たちが、
弁護士の努力により救われた瞬間の表情を見たとき、
私は身震いするほどの感動を覚えた」という周弁護士。
外国企業を相手に、仲裁、訴訟を手掛ける。
周暘 Zho Uy 中国弁護士
2000年9月から2002年3月まで、中国第一自動車集団株式公司、
および一汽轎車株式公司(Mazdaとの合弁企業)法務部総監補佐。
その後、日本へ留学。
2007年12月から北京潤明法律事務所勤務。
使用言語;中国語、日本語
専門領域;知的財産、契約紛争、労務管理など。
中国労働法法学会会員。
同僚弁護士と写真に納まる周弁護士(右)
■インタビュー
弁護士となってから何年になりますか。
弁護士として、すでに3年が立ちました。
弁護士を目指した理由は何でしょう。
2002年頃、早稲田大学留学中にインターネットで、中国ドラマ「拿什么拯救你我的爱人」(日本語訳:何を持って私の愛人を救うか)を不意に見ました。
ドラマの主人公のように美しい女性を救うために弁護士になったわけではありませんが(笑)、しかし、ドラマに登場する痛ましく、かつ美しい女性(女優なので当たり前ですが)のふとした表情が、私の弁護士を志すきっかけに少なからず影響したことは否めません。
このドラマの中で、事件に巻き込まれ、死にたいほど悩んでいる人たちが、弁護士の努力により救われた瞬間の表情を見たとき、私は身震いするほどの感動を覚えたのと同時に、これから自分が何を目標にして頑張っていきたいのかを決意したことを、昨日のことのように覚えています。
また、一般的には、大学卒業後は企業に入社して、これから自分がどのような人生を送るのか、ある程度のビジョンを予測することができますが、私は基本的に将来どのような人生が待ち受けているのか分からないほうが楽しいと考える性格も影響したかもしれませんね。
専門はどのような分野でしょうか。
大学院では、国際私法および国際知的財産法を専門に研究していました。
帰国後は、主に日系企業にリーガルサービスを提供しています。
取り扱い分野ですが、必要に応じて、主に、契約紛争、知的財産権、労働管理などを専門分野として、これらの仲裁、訴訟関連のリーガルサービスを提供しています。
クライアントは、主に、どのような企業ですか。
国際的渉外サービスを主に提供する法律事務所に所属している関係上、クライアントのほとんどは中国に進出している外国企業です。
もちろん日系企業のクライアントとも数多くお付き合いさせていただいています。
はじめて担当した事案は、どのようものでしたか。
日系企業の労働紛争でした。事例の概要は次のようなものでした。
A氏は、1997年7月1日に就職しました。彼の月給は14500元です。
2007年12月末、会社は、無断欠勤が年3回以上に達した場合、当該従業員を解雇できるという「出欠管理制度」を新たに定めたところ、A氏は、2008年1月から3月までの間に、3回以上、無断欠勤したのです。
そこで、会社は、2008年4月1日付けで、当該管理制度違反を理由に、A氏に解雇通知書を発した、というものです。
A氏の主張では、当時、自分は部門経理の職務にあり、この職務に対しでは「出欠管理制度」は適用されないと考え、当該規定を遵守していなかった、というものです。
しかし、会社の主張では、彼の当時の職務は部門技術総監であり、この規定が該当するのです。
解雇決定に不服のA氏は、45万元を賠償請求額として、労働仲裁、一審訴訟と相次ぎ提訴しましたが、何れも勝訴を得られず、北京第一中級人民法院に上訴しました。
そこで、私は、もう一人の弁護士と共に、会社側の代理弁護士として二審から担当することになりました。
争点は次のようなものです。
まず、法的に解雇要件に合致していたとしても当事者の個別事情を無視できるかです。すなわち、契約上、会社は、4月25日にA氏との労働契約を終了させることができるのですが、だからといって当事者の事情を一切考慮することなく、4月1日にA氏を一方的に解雇できるのか、が問題となります。
なぜなら、仮に、4月25日に雇用契約が終了したならば、この時点でA氏の勤続年数が10年以上となるため、これにより、中国労働契約法に基づき、無固定期間契約の締結を会社に要求できることになるからです。
一般に、正当な理由があるなら無固定期間契約を解除できるのですが、判例を見る限り、固定期間契約の解除に比べ、無固定期間契約を解除することは難しいのです。
そこで、会社は、無固定期間契約締結に至る前に訴訟を起こすことの方が得策だとして、固定期間契約のうちに、A氏を解雇したというわけです。実は、そもそも会社は5万元で和解を求める形でA氏との労働契約を解除したかったのですが、A氏に拒まれています。
さて、A氏は、上訴理由を次のように主張しました。
第一に、部門技術総監と部門総理(経理)はただ呼称が違うだけであり、実質上部門での地位は同一であり、前者は部門技術上の業務管理を担当し、後者は部門人事上の業務管理を担当する。
しかも、所属部門は純技術部門であり、通常、部門において前者は後者より権限が上位に位置する。したがって、部門総理に不定時勤務制を適用する以上、自分にも不定時勤務制を適用し、出欠制度を守る必要がない。
第二に、入社してから10年間、勤務上の要望や要求に応じてきたが、これまで出欠勤務制度を守るべきだという口頭上の勧告を聞いたことはない。
第三に、会社の規則制度により、技術職に対しての出欠考査に出欠管理制度のみを適用するのではなく、業務内容の完成比率も同時に考量しなければならず、出欠管理制度のみに違反したとの理由だけで、技術職が規則制度に違反したとは認定できない。
これらの主張に対し、私たちは以下のように反論しました。
第一の点については、労働契約上の記載から、A氏の職務が部門技術総監であり、部門経理ではない、ことは明らかであると主張しました。
根拠は、次のとおりです。
A氏が会社と締結した『年度業務完成計画書』には、会社を代表し署名したのは部門総理である。
これに対して、部門経理自らが会社と締結した『年度業務完成計画書』には、会社を代表し署名したのは会社の総経理である。
したがって、A氏の職務はただ部門技術総監であり、部門経理の管理を受けなければならないと説明できる。
また、不定時勤務制についての労働行政機関の許可書類上に、部門経理を含め合わせて7人の氏名が記載されており、A氏の氏名記載はない。
したがって、A氏は、労働契約上の記載にしたがって、定時勤務制の適用を受け、会社の出欠管理制度を守らなければならない。
第二の点については、口頭上の勧告がないからといって、会社の規則制度に違反した行為が合法になるわけではない。これは同じ場所でよく交通信号に違反した人間は、警察に対して、以前の行為により勧告または処罰をされなかったので、今回の処罰が合理ではないという主張と同じ論理である。
第三の点については、技術職であれ、普通職であれ、外出したり、出勤しなかったりする場合、事前または事後上司に報告しなければならないのは企業内常識であり、出欠管理制度の明文化されている。
出欠は主に従業員の基本的な勤務態度を考査し、業務内容の完成比率は主に従業員の業務能力を考査するものである。
一般に、会勤務態度は良好であるが業務遂行能力を有していない場合、正当な従業員とは言い難いし、一方、業務遂行能力を有していても基本的な勤務態度がなされていない従業員についても企業は受け入れがたいはずである。
したがって、本事案においても、会社は規則制度違反を理由に、A氏を解雇できる十分な根拠がある。
さて、審理過程は、次のように進みました。
一般的に、中国法院は二審労働紛争を審理する際、正式的に開廷審理を行いません。多くの場合、開廷のかわりに当事者双方を裁判所に招き談話の形で審理を済ませるのです。しかも、このような談話は1回に限られます。
本案は、2009年5月初に1回目の談話を行いました。このときの態度を見る限り、原審を維持でき、A氏は敗訴することは疑わないと考えました。
なぜなら、上記の法的弁論に自信があり、「先に帰ってもいいよ、後は私はA氏に説得する」などと裁判官に言われたからです。
しかし、5月中旬に、2回目の談話を行った際には、裁判官の態度は急変していました。すなわち、法律上の事実関係を究明する意思はなく、当事者双方に和解させなければならない、という意思を示していたのです。
結局、A氏は最終的に40万元ではなく、20万元の請求額を和解金として提出したのですが、5万元で和解できると授権される私はその金額に同意しなかった。
2回目の談話の後、裁判官との電話での話では、和解に至らない場合、会社が敗訴する可能性は高いという考えでした。その理由を聞いたところ、裁判官の回答はA氏の主張と同じでした。
この経緯から、私たち弁護団は、和解に至らない場合、会社が敗訴する可能性が低いと判断しました。
6月中旬、3回目の談話を行いました。
2回目と同じように、裁判官は和解を勧めてきたのですが、結局、和解に至りませんでした。
このとき、なぜ裁判官の態度が急変したのかが分かりました。それは、裁判官は「敗訴したら、私は社会を報復し、死んでも構わない」というA氏の発言を裁判官が深慮していたからなのです。
そして、7月初旬の4回目の談話では、担当裁判官が交替しました。
談話中、A氏は終始に上記暴言を、特に「敗訴したら、私は死ぬ」を強調していました。裁判官は再び和解の意思を各当事者に確認したのですが、金額上の差は大きく、和解に至りませんでした。
7月末、結局、裁判所は原審を維持し、会社の勝訴判決が下されました。
この事案で、私は、次のような感想を抱いたのです。
通常、裁判所は、和解に至らない場合、迅速に判決を下さなければなりません。法院には強制的に双方に和解させる権限を有していないのです。
この点について、裁判官は知っているはずですが、実際には、何らかの法律外の理由が存在し、多くの裁判官は、できるだけ和解で案件を終結しようとするのが現状です。
中国では、仮に、当事者双方の和解段階での請求金額の差は大きい場合、裁判官は当事者にプレッシャーをかけ、敗訴する可能性を当事者それぞれに明示、あるいは暗示し、双方に折り合いを付けさせ、和解に至るというケースが、よく見受けられます。
このような状況においては、弁護士の豊富な実務経験に裏打ちされた、総合的な判断が必要となります。
なぜなら、裁判官の意思は真理に基づくものもありますが、単に当事者に故意に強制力をかけて解決を図るだけの場合があることも否定できないからです。
また、訴訟の場合、終審判決を下さない限り、たとえ勝訴できると見込んでも、弁護士は100%で勝訴することを依頼人に承諾することはしないということも背景にあります。
裁判官の資質については多くを述べませんが、このはじめて担当する事案を通じて、中国訴訟実務においては、如何に法律上、実務上の対応を弁護士と依頼者とが密接に連携して行うべきかがとても重要であると考えさせる事案でした。
仮に、法律の論理上、勝訴できるとしても、依頼人の要望を組み入れていかなければ本当の意味で訴訟に勝ったことにはなりません。
現在は、主に、どのような事案を担当されていますか。
日本企業および中国現地法人に投資企業の設立•変更、海外上場、専有技術設備の輸入などの業務の企画•関与、関連する中国法律、法規の解釈および説明、日本企業日常経営契約の審査、関連する法律意見書の起草
、対象企業に対するデューデリジェンスなど、毎日の業務内容は多岐にわたります。
とくに、ストライキ、行政処罰、商業贈賄を含む企業の日常業務、経営上の危機管理に関連しては、緊急的対応、訴訟、仲裁事件など、月に一回の程度で担当しています。
これらの事案自体、非常に興味深いものですが、同時に、研究対象としても有意義なものです。
留学は、どのような理由からですか。
繰り返した豊な中国での日常生活で、生甲斐が何か、これからどのような人生を送れるか、段々分からなくなり、迷いました。
この感じは、おそらく中国にいる限り、あるい親と一緒に暮らしている限り、永遠に存在しています。
「留学生として日本で活きていけるなら、どの国においても活きられる」という言葉は、よく言われており、これをチャレンジする同時に、人生の目標とか、人生の生甲斐を他国で見つけたいと考えました。
留学先の大学院では、国際私法、国際知的財産権法を専門に学びましたが、それ以上に、アルバイトや普段の日常生活で得られた体験が、日本文化の理解に役に立ちました。
たとえば、中野駅付近のラーメン屋さん、“蘭”という六本木日本料理の洗い場、渋谷エクセルホテルのベッドメイキング、池袋東京芸術劇院での外回り掃除、東京競馬場の掃除など、多くの経験をつみました。
率直に言えば、このようなアルバイト体験が、法律上の専門より、私自身の留学生活や日本に対する理解に大きい影響を与えています。
日中の司法文化の違いについてどう思われますか。
次の2つの側面で考えられます。
ひとつは立法です。中国には、法律法規だけではなく、日本の条例のような地方行政を規定する法令が多いのです。
そして、中国における合法的な手法は必ずしもこれらの法令に合致しているとは限りません。
近時の高度経済発展に伴い、これらの地方法令は絶えず廃止されたり、更新されています。つまり、昨日、地方法令に合致していても、今日には不適合となっていたり、今日不可能な手順が明日には可能な手順になっていたりすることは決して珍しくはありません。
また、貧富の差が大きい中国社会では、地方により地方法令が異なっているのが一般的です。また、北京と上海などのように、格差がそれほど顕著ではない都市間においても、その規定はまったく相違していることがあります。
2つ目は、法執行の面です。
地方によって、法律(地方の法令を含む)を執行する基準が異なっているのです。このことは、法執行が、主に法律執行者の個人の考え、法的性質に依存することを示しています。また、地方法令が違えば、法執行もまた異なってくることになってくることを意味しています。
さらに、たとえ同じ地方であっても、時期の相違により、地方法令を含む法律を執行する基準も異なってくるのです。たとえば、3ヶ月および10日月前後、全国人民代表大会および地方人民代表大会(日本の議会に相当する)を開く際、その法律執行の基準は一般の時期を比べて、厳しいということがあります。
中国において、日本企業の事案を担当する場合に、気を付けている事、難しいと考えていることを教えてください。
まず、法執行において両国の制度は異なっています。
中国では効力が全国に及ぶ法律もあれば、日本の省令のような効力が地方に及ぶ法規もあります。
法律の多くは原則的な規定しか設けていないため、具体的な問題の解決においては、地方の法令、法規を適用しなければならないことがよくあります。
そこで、ある問題について法律の規定を適用すれば解決できそうですが、地方法令ではいろいろな制限条項が加えられ、問題の解決に支障を与えることがあります。この場合、結局、曖昧で不確定な回答をクライアントに出せざるをえないことがあります。
また、法律や地方法令の改正頻度そのものが早く、具体的な問題の解決にあたり、類似事件を取り扱った経験に基づいてそのまま処理することは危険です。
さらに、政府担当部門に確認しないと回答できないこともよくあります。
以上のような制度の差異を理解していない日本のクライアントから依頼を受けた場合には、まずこの点を説明するのですが、理解には難しいところがあります。
将来、どのような事案を担当したいですか。
国際知的財産権案件を担当したいと思います。
日本では60年代、70年代にアメリカと知的財産権の侵害をめぐってトラブルが頻繁に発生していた時期がありますね。
今の中国でも知的財産権侵害の問題が注目されていますが、これからの中国は恐らく同じ時期を迎えていくと思います。
これは知的財産権分野に、特に特許、商標に得意な弁護士の十分に活躍できる舞台になります。
知的財産権業務は私が所属している事務所の主要業務の一つです。この分野で、中国の実情および中国と外国間の文化上の差異を十分に把握したうえ、クライアントに適切かつ中国における実行可能なリーガルサービスを提供していきたいと思います。
印象に残る本について、教えてください。
高雲という方が書いた『思惟の筆跡』(法律出版社)です。